杉田玄白は何をした人?解体新書を完成させるまでの道のり【親子で歴史を学ぶ】

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目次杉田玄白ってどんな人?解体新書ができるまでの流れなぜ解体新書に前野良沢の名前がないの?晩年の杉田玄白は回顧録を出版杉田玄白をもっと知りたい人におすすめの本医学の進歩に大きく貢献杉田玄白(すぎたげんぱく)は、日本の医学を大きく発展させた人物として知られています。その生い立ちや、解体新書(かいたいしんしょ)を出版するまでの道のり、そして晩年に書かれた蘭学事始(らんがくことはじめ)についてまとめました。東洋医学に西洋医学が結びついた画期的な出来事について、知識を深めましょう。
杉田玄白ってどんな人?
杉田玄白の墓がある栄閑院猿寺(東京都港区虎ノ門)
 
偉業を成し遂げるまでの杉田玄白は、どのような少年期・青年期を過ごしたのでしょうか。まずは、幼少期から医師として成熟するまでの道のりを紹介します。
小浜藩の医者の子として誕生
杉田玄白は、1733年に小浜(おばま)藩の医師であった杉田甫仙(ほせん)の三男として生まれました。幼少期を出生地である江戸の牛込(うしごめ)で過ごした後、1740年、8歳のときに小浜へ移り住み、13歳までの5年間を過ごします。
参勤交代により父が再び江戸詰めを命じられ、玄白は医学を学びはじめました。それも、家業からすれば自然の成り行きだったのでしょう。
17歳になると、将軍のかかりつけでもある幕府の奥医師・西玄哲(げんてつ)から「蘭方外科(西洋医学)」を

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