現代文を学ぶことに意味はあるのか?

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「現代文を学ぶとはどういうことか?」日本で高校生を経験した人なら誰もが思ったことはあるかもしれない、現代文というものへの疑問。日本語で書いてある文章を読んで問いに答える。母国語というだけで何故か絶対の自信を持って答える人が多い。それが故に解説を読んでも先生に聞いてもどこか腑に落ちず、勝手に感覚とか才能とかに落とし込む人が多い様に思う。敢えて偉そうに言うが、私はある段階から東大模試の現代文で満点を取ることが当たり前になった。本番では現代文の点数は開示されないが、おそらく満点だと思う。というか満点以外あり得ないという自信を100%の根拠を持って解答した。現代文は出題者と添削者が社会的に、知的にまともなら正解は一つに決まるものである。問題を精密に読解し、論理的に必要かつ最小限の解答を組み立てればいいだけの作業ゲームだ。しかし恐らく東大の現代文の過去問を解いても満点を取れないことは理解できる。それは国語教育があまりにも軽視されているからだ。書いてあることを正確に理解し、バイアス無しに取り入れ、問われていることに答える力を鍛えることのできる教師など稀だろう。今でこそメディアにでて有名になった林修先生に高校生の時分に出会えたのは本当に幸いだった。徹底的に鍛えられた。その修行とも言える勉強の中で言われ続けたのは"何で自分の考え入れてんの?""何で書いてあることと問われていること以外のこと書いてん

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